スルタン、元首相に最後の敬意を表す(2016.04.13 | 政治

以下ニュースはブルネイ「ボルネオ・ブリテン」紙(B.B.)、ニュースサイト「ブル・ダイレクト」(B.D.)の記事を翻訳の上、掲載しています。

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スルタン(ハサナル・ボルキア国王)は、4月11日にトゥトン県カンポン・センカライにある邸宅‘テラタク・ユラ’において、92歳で安らかに逝去されたペンギラン・モハメッド・ユソフ・ビン・ラヒム元首相に最後の敬意を表した。
スルタン及び他の政府高官は、ペヒン・アブドゥル・アジズ・ビン・ジュネド国家イスラム法典説明官を導師とする葬儀を行いました。

同氏は、トゥトン県にあるセンカライ・イスラム教墓地に埋葬された。

同氏は、1923年5月2日にトゥトン県カンポン・カンダンで生まれ、7人の息子、4人の娘、38人の孫と22人の曾孫に恵まれています。

3人の他の子供は死亡しています。

この元首相は、作家でもあり、また詩人でもありました。そして、同氏は、ブルネイ国歌の歌詞を書きました。

スルタンの承認を得て、同氏は、1968年1月12日に、‘YAMペンギラン・ジャヤ・ネガラ’の称号を授与された。

同年5月16日、同氏は、‘YAMペンギラン・セティア・ネガラ’のランクに昇進しました。

同氏の叙勲及び名誉職の長いリストは以下の通りです。
1968年:DK(ライラ・ウタマ)
1963年:SPMB
1960年:DSND
1958年:SMB
1984年:(日本国裕仁昭和天皇より)勲一等旭日大綬章を叙勲された
1968年:CBE
1962年:POAS
1970年:PHBS
2008年:PBLI
1959年:PJK
1959年:PKL
1963年:ピンガト・ペルジュアンガン
1968年:ピンガト・プスパ

忠義なブルネイ人である同氏は、同国初の成文化した憲法を作成した時のブルネイ憲法委員会の最後の生き残りメンバーでした。

同氏は、忠実に国家の職責を遂行し続けました。

92歳で、同氏の最後の国の役職は、国会における国家名誉議員でした。

民間部門では、同氏は、QAFブルネイ社の元副会長を務めました。同社は、ブルネイ・プレス社を所有し、メディア・ペルマタの設立に向けて主要な役割を演じました。

同氏は、スルタンの亡父スルタン・オマール・アリ・サイフディンによってブルネイの憲法改革のプロセスの時にあらゆるブルネイのムキムに送られたブルネイ憲法委員会の7人のメンバーのうちの最後の生き残っていたメンバーでした。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏は、行政への貢献と活発な関与に対して、1961年に、インターナショナル・アカデミー・オブ・ヴァンクーヴァーで名誉法学博士号を授与された。

同氏はまた、1945年に広島大学に留学しました。

同氏は、1945年の日本における原爆投下に遭いましたが生き残りました。そして、2013年に、同氏は、日本とブルネイの間の平和と親善を促進した役割に対して広島大学から名誉博士号を授与されました。

ブルネイの独立直後の1985年に、日本政府は、ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏に勲一等旭日大綬章(裕仁昭和天皇によって贈られる最高の名誉の一つ)を授与した。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏はまた、ブルネイの文学界でも有名人でありました。

同氏は、“ユラ・ハリム”というペンネームを持った熱心な作家でした。

同氏の生涯において、同氏は、幾つかの文学賞を授与された。その中には、東南アジア(SEA)作家賞、スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン教育賞、ブルネイ大学から名誉博士号、及びブルネイ宗教勲功サービス賞が含まれています。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏は、トゥトン県にあるブキト・ベンデラ・マレー・スクールで、幼児教育を受けました。

同氏は、ペラク、タンジョン・マリムにあるスルタン・イドリス・ティーチャーズ・カレッジで教師としての訓練を受けました。そして、更に日本の広島大学とデオンシャーにあるサウス・デヴォン・インペリアル・カレッジで同氏の研究を進めました。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏は、生涯において、幾つかの経歴を積みました。即ち、教師のトレーナー、学校の副校長、アシスタント・インフォーメーション・オフィサー、インフォーメーション・オフィサー、副秘書官、秘書官、首相、駐マレーシア・ブルネイ大使、駐日ブルネイ大使です。

同氏は、枢密院のメンバーであり、また風俗習慣協議会のメンバーでありました。

同氏の孫のペンギラン・ユラ・スクマ・ビンティ・タジュディンさんとダヤンク・カマラワティ・ビンティ・イサさんは、平和と自由が何よりも大事であることを孫達に分からせるために、祖父が戦時中の体験について話すのがいかに好きかを思い出しました。

孫達はまた、祖父がしつけや懲らしめのより効果的な方法として穏やかに注意をするのを好むことを思い出しました。

そのうえ、同氏は、他の人に援助を頼むことなく、彼自身でするのが好きでした。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏は、忠義なブルネイ人でした。同氏の年齢にも拘らず、国会における国家名誉議員として最近の国会にも出席していました。

ペンギラン・モハメッド・ユソフ氏は、多くの才能を持つ並外れた人でした。

同氏の子供や孫が付けた名前の“ユラ”は、同氏が導いた素晴らしい人生と経歴の遺産です。

(B.B.2016年4月12日)