政治

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トランスペアレンシー・インターナショナル社(TI)が毎年、世界中の腐敗レベルを分析しており、ブルネイは、世界中で41番目に最も正直な国にランクされた。

ブルネイは、アセアン地域内で2番目に腐敗の少ない国であり、またアジアで8番目の国で、得点は58である。

トランスペアレンシー・インターナショナル社が1月25日に発表した最新の腐敗認識指数では、ブルネイは41番目である。

最新レポートによると、ブルネイの得点は、100点満点中58点だった。

ブルネイは、2015年の指数にはランクされていなかったが、2014年には60位、2013年には55位だった。

得点0は、‘非常に腐敗している’ことを意味し、得点100は、‘非常にクリーンである’ことを意味している。

昨年最も腐敗の少ない国は、デンマークとニュージーランドであり、得点は90だった。次いで、フィンランド、スウェーデン、スイス、ノルウェーが続いている。

シンガポールは、アジアで最も腐敗の少ない国であり、得点は84で、世界で7位だった。

本リストの最下位にある国は、ソマリア、南スーダン、及び北朝鮮である。

最新のレポートでは、アジア太平洋地域の大部分の国々は、2016年腐敗認識指数の下半分に入っていると述べている。

アジア太平洋地域の30ヵ国のうちの19か国は、100点満点中40以下である。

弱いパフォーマンスは、市民社会にとって無責任な政府、監視の欠如、不安定と縮小するスペースに起因している。

脚光を浴びる腐敗スキャンダルは、日常的な腐敗問題に加えて、政府、民主主義の利益と法の支配に対する一般の信用を徐々に虫食み続ける。

腐敗認識指数は、公共部門の腐敗の世界的な指標である。

ベルリンに本拠を置くトランスペアレンシー・インターナショナル社によって編集されたこの指数は、世界中の国々の公共部門を採点し、ランク付けを行うことにより、世界中の腐敗の度合いを相対的に見た毎年発行するスナップショットである。

今年の指数は、176ヵ国に及んでいる。

腐敗認識指数が毎年生み出される時に、それは、公共部門における透明性の世界的な重要性を補強することになる。

(B.B.2017年1月26日)

1月12日、スルタン(ハサナル・ボルキア国王)の命により、国会(LegCo)解散の後、「スルタンは、国会議員を新しく任命しました。」旨、発表された。

スルタン・オフィスによって発表された声明書によると、国会議長は、ペッヒン・アブドゥル・ラーマン・ビン・モハメッド・タイブ氏がなった。

第24条(1)別表第1節(a)(1)に従った職権上兼帯する議員(首相及び大臣)は、次の通り。
1.スルタン(ハサナル・ボルキア国王):首相、国防大臣、財務大臣、及び外務貿易大臣
2.アルムタディ・ビラ皇太子:皇太子兼総理府上級大臣
3.ペヒン・アブ・バカール・ビン・アポン:内務大臣
4.ペヒン・スヨイ・ビン・オスマン:教育大臣
5.ペヒン・アブドゥル・ラーマン・ビン・イブラヒム:総理府大臣兼第二財務大臣
6.ペヒン・リム・ジョク・セン:総理府大臣兼第二外務貿易大臣
7.ペヒン・モハンマド・ヤスミン・ビン・ウマル:総理府エネルギー・産業大臣
8.ペヒン・バダルディン・ビン・オスマン:宗教大臣
9.ダトー・バーリン・ビン・アブドゥラ:開発大臣
10.ダトー・アリ・ビン・アポン:一次資源・観光大臣
11.ダトー・ムスタッパ・ビン・シラト:通信大臣
12.ペヒン・ハルビ・ビン・モハメッド・ユソフ:文化・青年スポーツ大臣
13.ダトー・ズルカルマイン・ビン・ハナフィ:保健大臣

第24条(1)別表の第1節(a)(ⅱ)に従った議員は次の通り。
14.ペヒン・アブドゥル・ハミド・ビン・バカル
15.ペヒン・ハスリン・ビン・サブトゥ
16.ペヒン・アブドゥル・ガニ・ビン・アブドゥル・ラーマン
17.ウマラリ・ビン・エスン
18.アブドゥル・ハミド・ビン・サブリ
19.オン・ティオン・オー
20.シティ・ビンティ・アブドゥル・ラーマン
21.ハフィミ・ビンティ・ハアディ
22.カイルンイサ・ビンティ・アシャリ
23.イスワンディ・ビン・アーマド

第24条(1)別表の第5節(1)に従った各県代表は次の通り。
24.アリ・ビン・マオン、:ブルネイ/ムアラ県ムキム・ベラカス’B’村長
25.ナイム・ビン・カミス:ブルネイ/ムアラ県ムキム・コタ・バトゥ村長
26.タハミト・ビン・ヌディン:ブルネイ/ムアラ県ムキム・ガドン’A’村長
27.モハイミン・ビン・ジョハリ:ブルネイ/ムアラ県カンポン・リマウ・マニス村長
28.ペンギラン・モハメッド・ビン・オスマン:ブルネイ/ムアラ県カンポン・マスジド・ラマ、ペカン・ムアラ、サブン&ペルムポン村長
29.アブドゥル・ハミド・ビン・ムミン:べライト県ムキム・リアン村長
30.ハナピ・ビン・モハメッド・シプト:べライト県カンポン・ラビ1村長
31.アブドゥル・ワハブ・ビン・アポン:トゥトン県ムキム・タンジョン・マヤ村長
32.ラムリ・ビン・ラヒト:トゥトン県ムキム・テリサイ村長
33.エムラン・ビン・サブトゥ:テンブロン県ムキム・ボコク村長

国会の書記は次の通り。
34.ペヒン・ジュディン・ビン・アサル

この新しい国会議員の任命は、2017年1月13日付である。

(B.B.2017年1月13日)

前国王の正当性は、前国王が国民を結束させることができ、またブルネイの社会経済的ステータスを引き上げることができる戦略を形作るのを援助しました。

これは、ブルネイが完全独立した場合の政府のポストのためのスキルや知識を得るために、ブルネイの青年達をシンガポール、マレーシア、エジプト、及び英国に送ることにより教育による育成に至りました。

青年時代に、前国王は、1932年から1936年まで、ペラにあるクアラ・カンサル・カレッジで更に勉強し、その後3か月間、クアラベライトにある林業局に勤めた。

それは、前国王に、ブルネイの熱帯雨林と植物の性質を理解することに加えて、庶民の生活を学び、体験する機会を与えました。

この経験は、前国王に国民と国家を向上させるための政策を構築させました。

それは、以下の前国王に関する記事によって認められます。

「オマール・アリ・サイフディン皇太子(現在は、スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン・サアドゥル・カイリ・ワディエンとして知られています)は、ペラにあるマレー・カレッジ・クアラ・カンサルから戻りました。皇太子は、直ぐに林業局に幹部候補生として加わりました。その仕事に就いている間に、皇太子は、溝を掘ったり、森林の発育不全部分を切ったりといった肉体労働の仕事を引き受けました。皇太子の最初の任務として、皇太子は、ブキト・プアンへ送られました。そこで、皇太子は、自分自身が労働者の列に加わりました。」

スルタンとしての正式な任務に就く前、前国王の仕事の経験は、一般の人々が直面した複雑さと限界を理解するのに役立ちました。

日本による占領の間、前国王は、ケダー&トレンガヌの州法に基づいた法律である民事訴訟法と刑事訴訟法のアナリストとして勤務させられました。

前国王はまた、戦後のブルネイの発展において前国王の理想を形作る経験であるカンポン・スンガイ・ケダヤンの市民の福祉を管理するため、イブラヒム・ビン・モハンマド・ジャファーと一緒に働きました。

同様に、日本による占領の暗い時代は、前国王のリーダーシップの方法を“親しみのあるスルタン”(スルタン・ヤン・ベルジワ・ラキャト)として形作りました。

前国王の福祉についてのフォーカスは、国是(マレー主義、イスラム国教、王制擁護)のある国家としてのブルネイの安全保障と保護を確実にするため、ブルネイ成文法(ペルレムバンガン・ベルトゥリス・ネジェリ・ブルネイ)の導入によって1953年に始まりました。

このイニシャティブは、英国の法律専門家であるR.H.ヒックリング氏によって支持されました。同氏は、‘トゥジュ・セランカイ委員会’のメンバーによって編集された報告書に基づいて、ブルネイにおける政治的発展の必要性に関するレポートを用意しました。

過去60年の間、多くの政策が行われました。そして、それは、前国王からブルネイ・ダルサラーム国の国民及び居住者に対する永続する遺産です。

スルタン(ハサナル・ボルキア現国王)が1967年10月5日の談話で語っているように、これらの政策は、国民に平和、調和、及び繁栄を保証するために構築されました。その要旨は以下の通りです。

「スルタンとして、私は、この国の平和、調和、及び安定性を守るという私の父の理想を成し遂げるべく努力し続けます。私の父が始めた様々な計画とプロジェクトを通して、国民の生活水準を引き上げることによって、ブルネイ・ダルサラーム国のプレステージを確実にします。アラー神のご加護により、私もまた、イスラム教及びブルネイの伝統的な価値を保護し、擁護します。」

私達は、前国王と現国王が第二次世界大戦以降、これらの理想を擁護してきました。

この動きは、1959年のブルネイ憲法(ペルレムバガアン・ネジェリ・ブルネイ)に繋がる会談に於いて、英国政府によって受け入れられました。

ブルネイは、マレー主義、イスラム国教、王制擁護(MIB)を国是としてそのステータスを維持すべきであると、1957年に合意しました。

この国の主柱の保全を確実にするために、スルタンは、「MIBは、常にブルネイの哲学の基礎であるし、これからもそうあるでしょう。」と発表しました。

ブルネイの国民と居住者のためのアラー神からの贈り物としてのMIBの堅い信念は、現在、‘ブルネイ・ヴィジョン2035’を達成するために実施されています。

MIBの概念は、前国王の政策の基礎でした。それには、教育、フリー・ヘルスケア、恵まれない人々への毎月の手当、及び住宅プロジェクトが含まれています。

これらの特権は、32年前の談話で確約しているように、国民への亡父の遺産を継続して、即位してから49年間経過したスルタンのリーダーシップの下で、ブルネイ国民によって享受されています。談話の要旨は、次の通りです。

「アラー神の導きと許しによって、私は、私の臣民の平和、セキュリティ、福祉、及び幸福のために働き続けます。」

ブルネイの国民及び居住者として、私達は、常にアラー神とスルタンの賢明なリーダーシップから与えられたものに対して感謝しなければなりません。

(B.B.2017年1月2日)

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(ムハンマド・ハディ・ビン・ムハンマド・メラヨン博士:MIB最高評議会事務局上級特別委員執筆)

ブルネイ・ダルサラーム国の主権とMIB(マレー主義、イスラム国教、王制擁護)国是の回復への闘いは、第二次世界大戦後KMB及びBARIPによって始められました。

ブルネイ民族主義者は、大英帝国との直接対立の様々な手段を探究しました。

しかし、アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン・サアドゥル・カイリ・ワディエン・イビニ・アルマルフム・スルタン・ムハンマド・ジャマルル・アラム(前国王)は、ブルネイの主権の回復のために外交的なアプローチを取り、英国政府と交渉することに決めました。

アルマルフム前国王は、説得力のある方法を通して、独立を成し遂げたいという願望に気付いていました。

同時に、ブルネイの青年達には近代的な行政、政治、経済、外交、教育、及び宗教的問題における必要な経験とスキルが欠如していたので、前国王は、幾つかの選択肢を考えていました。

前国王は、改革が必要であり、またブルネイを近代化する堂々とした仕事と向き合うリーダーとしては自分次第であると理解していました。

強力な理想を持つ構想力のあるリーダーとして、前国王の努力は、ブルネイ国民に、特に教育の重要性とそれがブルネイ国においてどのように前向きな変化をもたらすかについて、受け入れられました。

1950年6月4日に前国王の即位により、幾つかの政策が、ブルネイ国のステータスを国是MIBのある国家として回復するために取られました。

1954年~1959年の第1次国家開発計画(RKN)を通して、ブルネイ国のインフラ(モスク、学校、コミュニティホール、オフィス、及び政府の住宅、ヘルスケア、及び通信)の開発が、そのゴールに向けて取られた最初のステップでした。

社会経済的発展及び政治的発展が、第1次RKNの主要イニシャティブでした。これは、1954年にフィジーの英国植民地事務所からブルネイの開発コミッショナーとして任命されたエリックRベヴィントン氏の助けを借りて実施されました。

第1次RKNを実施するために、ほぼ1億Bドルが投資されました。

ブルネイ国の福祉と繁栄を心に留めて、同プログラムは、ブルネイにおける物理的で精神的な発展のスタンダードに引き上げるための計画を施しました。

それは、独立への道を開くものであり、また社会的、宗教的、並びに文化的な面をも有利な関係を作るものでした。(続く)

(B.B.2017年1月2日)

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スルタン(ハサナル・ボルキア国王)は、国民に対して、サイバー世界から来る脅威と同様に、平和と調和に対する脅威に用心するように促した。

2017年の新年を迎えるにあたって、12月31日の大晦日に、スルタンは、「私達は、この幸運な国において、平和と調和を享受する沢山の思い出を持って2016年を終えようとしています。… 私達は、アラー神に感謝し、また2017年も享受できるご加護があるようにお祈りします。平和は、かけがえのない最高のものです。私達はまた、強力な宗教的な価値を支え、法律を遵守し、調和を保って生活し、そして団結しなければなりません。」と語った。

「しかし、私達は、平和と調和に対抗する要素は常に無秩序を創りだそうと試みることを心に留めておかなければなりません。それ故、私達は、これらの要素に対して注意深くなければなりません。また、それは、全ての関係者にとって、特にセキュリティ問題に対処する人々にとって大きな責任です。」と、スルタンは語った。

「国際的なサイバー組織との戦略的パートナーシップを強めることによって、サイバー脅威、特にソーシャル・メディアによってもたらされる危険に直面する努力もまた行わなければなりません。」と、スルタンは付け加えた。

スルタンは、「世界は、経済の不確実性に打ち勝とうと努力しています。」と語った。

「しかしながら、私達は、世界銀行による我が国のビジネス環境の世界ランキングを改善した国全体のアプローチと私達の改革努力に満足しています。」

「私達の業績は、私達のコミットメントの副産物であり、また政府機関と他のステークホルダーとの間のしっかりした協力です。」

「しかし、私達は、満足してはなりませんし、私達の業績をアップグレードするのに活発でなければなりません。私達は、この国に投資するように、外国人投資家を誘ってきました。そして、神のお蔭で、幾つかの外国直接投資(FDIs)が既にブルネイ国での足場を築き始めました。この国が世界でもっと競争力があるように、ローカル・ビジネス、特に中小零細企業(MSMEs)を支援するための様々なイニシャティブが計画され、実行されてきました。」と、スルタンは付け加えた。

政府のサービスに触れて、スルタンは、それがもっと生産的である必要があると語った。

「私は、政府のサービスの中心的な価値を支えるために改革を必要とする多くの分野があると思います。私は、政府組織がもっと統制のとれた組織であることを欲しています。」

教育において、スルタンは、「“ブルネイ・ヴィジョン2035”を実現するために、流れを広くし、教育の質を高めるための努力をしてきました。プライオリティは、彼らをパフォーマンスの高い個人にするために、教師の質を高めることです。」と語った。

国際的な活動の領域において、スルタンは、「ブルネイは、東南アジア地域及び世界の平和を確実にするために、前向きな役割を演じ続けます。」と語った。

「正直に言って、私達は、アセアンが地域の平和と福祉に立ち向かう姿勢のため、ふさわしい地域の組織であり続けることを願っています。」

「今年(2017年)、私達は、アセアンの50周年を祝います。そして、アセアン加盟国が“アセアン共同体ヴィジョン2025”を実現するための努力において良い協力を続けることが望まれます。」

ブルネイは、今年スルタン在位50周年記念を迎えるので、スルタンは、「この祝賀は、私達にとって歴史を評価するために大きな意味を持っています。」

そして、スルタンは、誰にでもこのイベントを祝うのに穏健であるように訴えました。

「この祝賀或いはフェスティバルは、歴史のサインであるべきです。歴史は、疲れることなく、或いは退屈することなく、何代にもわたって話される文明国民の発言です。これは、歴史の価値です。・・・穏健は、それを優先させることを意味します。」

スルタンは、「国民は、誠実さをもって難題に直面することにより先を見越して行動し、また創造的であるように彼らの決心と努力を強めることを望みます。」と述べて、談話を終えました。

「私は、この場を借りて、政府部門の全ての人々、保安要員、及び民間部門の人々に、2016年の間を通して、それぞれの仕事を実施した誠実な努力に感謝の意を述べたいです。」

「私の家族と私は、全ての人々に2017年の新年おめでとう、及びアラー神のご加護を、また、ご健勝と、並びに平和と安定を祈念しております。」

(B.B.2017年1月1日)

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(ムハンマド・ハディ・ビン・ムハンマド・メラヨン博士:MIB最高評議会事務局上級特別委員執筆)

1941年~1945年の日本による占領は、国是「マレー主義、イスラム国教、王制擁護(MIB)」としてのブルネイの主権にとって大きな打撃でした。

占領下で、ブルネイの市民に対する不正行為は、特にブルネイ民族主義者の間で、結局憎悪に発展した深い憤りを引き起こしました。

この占領はまた、青年フロント(BARP)によって導かれたブルネイの主権を取り戻すことに繋がりました。

この運動は、スルタン・アーマド・タジュディンとその弟ペンギラン・ベンダハラ・ペマイスラ(故アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン・サアドゥル・カイリ・ワディエン・イブニ・アルマルフム・スルタン・ムハンマド・ジャマルル・アラム前国王)によって支持されました。

日本による占領の前、ブルネイは、英国人によってかなり支配されていました。そこでは、スルタンの権力は、ローカルの習慣と宗教の問題だけに限られていました。

ロンドンのキュー・ガーデンズにある国立公文書院で見つかった文書から明らかになったように、植民地主義は、ブルネイを政治的に弱い立場のままにしました。英国国立公文書院で見つかった文書には、「スルタン・アーマド・タジュディンは、スルタンとして何も権力を持っていませんでした。

そして、同じ拘束が、スルタンの特権、地位、及び毎月のスルタンの手当に課せられました。」と述べている。

英国人からのこのみすぼらしい扱いは、スルタンにブルネイの政治的スタンスと君主制度についての話を始めさせました。

これは、ブルネイのスルタンと英国人居住者との間での最初の政治的対話でした。しかし、この議論は、スルタン・アーマド・タジュディンが1950年6月3日にロンドンへの途中で死去したときに、尚早に終わりました。

英国人居住者の時代に、英国の支配下で、国内問題と国際問題の両方とも英国が支配していたので、ブルネイは政治的に不安定でした。

元英国人居住者のジョン・ピール卿は、1995年8月に行ったインタビューで、次のように語っています。

「ブルネイは、保護国でした。そして、条約には、スルタンは、イスラム教とマレーの習慣以外の全てのことについて英国人居住者のアドバイスを受け入れなければならないと定めてありました。

それで、スルタンは、他の全てのことについて私のアドバイスを受け入れなければなりませんでした。そして、それは、丁度戦前に行っていたやり方でした。従って、私は、本当に、広範囲にわたる権力を有していました。私は、まさしくこの国の一般問題に責任がありました。スルタンによって統治された国務院において、私は、スルタンの隣に座り、スルタンにアドバイスを与えておりました。何故ならば、実際に、私がこの会議のための資料を作成していたからです。絶対的に、私が政府を運営していました。」

第二次世界大戦中とその後に、ブルネイはまだ英国の保護領でした。

ナショナリズムの炎が、この地域、特にマラヤとインドネシアで燃え上がってきました。

政治的自由のための彼らの闘争は、BARIPの形でブルネイ自体のナショナリズムの運動のきっかけとなりました。BARIPは、ブルネイの独立と主権のための闘いに導きました。

前の記事では、スルタン・アーマド・タジュディンの母君が1947年に死去した後、ブルネイ旗を半旗にすることに対する彼らの拒否について、サレ陛下とその忠実なるBARIP闘争員がどのようにして首都バンダル・ブルネイで商店のオーナーを脅したかについて述べています。

幸いにも、商店のオーナー達は、彼等の要求に同意し、また首都における潜在的暴動を回避しました。

1941年日本占領下で、イブラヒム・ビン・モハメッド・ジャファー(ペヒン・ダトゥ・ペルダナ・メンテリ・ダトー・ライラ・ウタマ・ハジ・イブラヒム・ビン・モハメッド・ジャファー)が、幾つかの政府文書を保存するのに彼自身の命を賭けたときに、もう一つの愛国心の行動が起こりました。

これらの文書なしでは、戦後ブルネイを再建するのは困難でした。

彼の兄と同じように、故アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディンは、外交が英国人と付き合う最善の解決策で、また攻撃はオプションではないと思っていました。

ブルネイ憲法への道は、アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディンと英国人との間で優れた外交が十分な証明です。

アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディンによる著作物‘シャイア・ペリエムバガアン’に、同スルタンは、ブルネイが外交と柔軟な交渉を通してどのように独立を再び得たかについて書いています。

アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディンは、独立に対する兄の最終的な願望を続けて、そして国是「マレー主義、イスラム国教、王制擁護」(これは、ブルネイ憲法に是認されています)に基づいて、ブルネイの政治的権利と主権を取り戻しました。

1984年のブルネイの独立宣言は、国内問題と国際問題の両方でブルネイが政治的に成功を収めました。

毎年、ブルネイは、ブルネイの独立を記念するナショナルデーを祝います。

ブルネイ人は、老若男女を問わず、ブルネイの独立に対してアラー神に感謝を表すために、君主であるハサナル・ボルキア国王の前で、首都バンダル・スリ・ブガワンにおいて、愛国心を示しています。

しかし、私達の何人が我が国の独立への道を思い出すことができますか?

私達の国民的英雄と独立に対する彼らの戦いの物語(私達が若い世代と共有することができる物語)は、より広く知られなければなりません。

それは、私達の主権、宗教、並びに国家のために戦ったブルネイの愛国者の物語です。

スルタン(ハサナル・ボルキア国王)は、国家形成と国家の拡大へのガイドとして歴史の重要性を下記の通りハイライトしています。

「歴史は、真実の声であり、また最も雄弁であります。私達は、この声を黙らせるべきではありませんし、またより流暢に、そしてはっきりと語り続けなければなりません。歴史は、沈黙させてはいけません。その歴史を隠そうとする国は、過去を恐れています。私達は、勇気(質問をし、自分自身の中に見る勇気)を持つ必要があります。

「これが、いかにして私達が歴史から学ぶことができるかです。それ自体の過去から学ぶ国は、本当に偉大な国です。私達が、私達自身の起源を辿ることができ、そして私達自身の名前を切り開くことができるのは、歴史を通してです。これが、歴史がなんと素晴らしいものかです。」

「ブルネイ・ダルサラーム国の歴史は、非常にユニークな面を持っています。:即ち、マレー主義、イスラム国教、王制擁護(MIB)です。それは、人間の技巧によるのではなくアラー神からの贈り物として私達に伝えられたものです。神の贈り物として、その本当の価値は、計り知れないものです。それはまた、大きな責任を伴います。そして、その責任が、もう一つの名前-即ち、信用-によって分かります。」

「それで、誰がその責任を負いますか?答えは、次の通りです。:即ち、この国の市民としての私達全員です。私達は、この信用をもたらします。私達は、それを守ります。私達は、国是を施行します。そして、私達は、私達の文化的誇りとしてそれを育て上げます。」

「私達は、それがMIBと相容れないイデオロギー或いは制度であるかどうかに拘わらず、それが外部の力によって縮小させるのを決して許してはなりません。」

「MIBは、ブルネイの命であり、魂です。それは、知恵と理解を通して以外は、裸眼で見ることができません。誰でも、MIBが‘幅の狭い道路’ではなく、全ての人に快適さと幸福をもたらす幅の広い道路であることを理解する必要があります。」

これらの記事は、ブルネイのゴールのヴィジョン2035に向けてのガイドと思い出させるものとして書かれました。

スルタン(ハサナル・ボルキア国王)は、MIBに基づくブルネイ・ダルサラーム国の平和と安定を保つために、故アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン前国王の遺産を継承しますと既に述べています。

アラー神のお蔭で、スルタン・アーマド・タジュディン、アルマルフム・スルタン・ハジ・オマール・アリ・サイフディン、及び現国王の結合した強いリーダーシップが、1984年1月1日に英国から我が国を戻し、独立に導きました。

歴史を繰り返さないために、私達は、この国のアイデンティティと国家哲学を保つために、ブルネイ人として私達に任されたものを受け入れなければなりません。

我が国は、主権とアイデンティティを本当に評価するために、もう一つの不幸な出来事を経験する必要はありません。

私達は、ブルネイの文化的遺産を保護するために、歴史の授業と私達の国民的英雄による闘いを思い起こすことによって学ばなければなりません。

(B.B.2016年12月20日)

スルタン(ハサナル・ボルキア国王)の命により、総理府は、「スルタンは、モハメッド・ユスラ・ビン・モハメッド・サレ駐アラブ首長国連邦アブダビ・ブルネイ大使を外務貿易省事務次官代理に任命することを承認しました。」と発表した。

「同人事異動は、11月14日付です。」と、総理府は発表した。

(B.B.2016年11月14日)

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8月31日、スルタン(ハサナル・ボルキア国王兼ロイヤル・ブルネイ国軍最高司令官)は、アブドル・マティン王子(中尉)に新しいランクの記章を贈呈した。即ち、同王子は、大尉に昇格した。

ボルキア・ガリソン・オフィサーズ‘メスにおいて行われたこのランクの記章贈呈式で、スルタン(国防大臣兼ロイヤル・ブルネイ国軍最高司令官)は、到着時に、ダトー・アブドゥル・アジズ・ビン・モハメッド・タミト国防副大臣(第一提督)及びペヒン・モハメッド・タウィ・ビン・アブドゥラロイヤル・ブルネイ国軍(RBAF)司令官の出迎えを受けた。

新しいランクの記章を贈呈するためにオフィサーズ‘メスに進む前に、スルタンは、ロイヤル・ブルネイ陸軍(RBLF)隊員によるロイヤル・サルート(王室儀礼式)を受け、儀仗兵の閲兵を行った。

オフィサーズ‘メスで、スルタンは、アブドゥル・マティン王子(中尉)に新しいランクの大尉の記章を添えた。

この昇格は、2016年5月9日付である。

アイノルニザム・ビン・イブラヒム少佐(RBAF宗教局長)によってドア・セラマット(平安の祈り)が朗読された。

この式典を終わる前に、スルタン及びアブドゥル・マティン王子は、訪問を記念して羊皮紙に署名した。

この式典には、国防省とRBAFの国防実行委員会、軍務管理区域司令官、役員、司令官、上級士官、及び士官も出席した。

(B.B.2016年9月1日)

スルタン(ハサナル・ボルキア国王)の命により、総理府は、「スルタンは、下記人事異動を承認しました。」旨発表した。

・アブ・スフィアン・ビン・アリ国防省事務次官代理(防衛政策及び開発担当)は、外務貿易省に異動となった。

・キャプテン・アブドゥル・ラーマン・ビン・ブガワン・ムディムは、国防省事務次官代理(防衛政策及び開発担当)に任命された。

この人事異動は、2016年6月20日付である。

(B.B.2016年6月20日)

スルタン(ハサナル・ボルキア国王)の命により、総理府(PMO)は、「スルタンは、ペンギラン・ジャムラ・ウェイラ・ビン・ペトラ電力局(DES)局長代理を電力局長に任命しました。」と発表した。

また、総理府は、「マズリヤニ・ビンティ・アブドゥル・ガニe-政府国立センター(eGNC)所長代行をeGNC所長に任命しました。」と発表した。

(B.B.2016年6月14日)